日本史のサンプル問題
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問題 1
江戸幕府の鎖国体制下で、オランダ・清以外に長崎以外の場所で幕府公認の交易・外交窓口を設けていた相手国はどれでしょう?
- スペインとポルトガル
- イギリスとフランス
- 清とベトナム
- 朝鮮と琉球
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正解: 朝鮮と琉球
江戸時代の対外関係は「四つの口」と呼ばれる4窓口体制で、長崎(オランダ・中国)・対馬藩(朝鮮)・薩摩藩(琉球)・松前藩(アイヌ・蝦夷地)が存在した。朝鮮とは対馬藩が窓口となり、朝鮮通信使が将軍代替わりなどの機会に来日した。琉球は薩摩藩に支配されながらも中国(清)の冊封国でもあり、慶賀使・謝恩使を江戸に送った。スペインは1624年に来航禁止、ポルトガルは1639年に追放。イギリスは1623年に自ら商館を閉鎖。
TIPS
「四つの口」長崎・対馬・薩摩・松前。朝鮮通信使と琉球使節のセットで覚える。
問題 2
1945年8月6日に広島へ投下された原子爆弾のコードネームはどれでしょう?
- ファットマン(Fat Man)
- インプロージョン(Implosion)
- リトルボーイ(Little Boy)
- トリニティ(Trinity)
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正解: リトルボーイ(Little Boy)
広島(8月6日)に投下されたのはウラン型爆弾「リトルボーイ(Little Boy)」。長崎(8月9日)に投下されたのはプルトニウム型爆弾「ファットマン(Fat Man)」。トリニティは1945年7月16日にニューメキシコ州アラモゴードで実施された世界初の核実験(テスト)の名称で、都市への投下とは別。インプロージョンはプルトニウム型爆弾の爆発方式(内部爆縮方式)の技術用語で、爆弾のコードネームではない。広島と長崎で爆弾の種類が異なることはよく出題される。
TIPS
広島=リトルボーイ(ウラン型)、長崎=ファットマン(プルトニウム型)。ファットマンを広島と混同するのが典型的な誤り。
問題 3
皇道派の青年将校が約1500名を率いて蜂起し重臣を殺害したが、昭和天皇が鎮圧を命じて4日後に鎮定された1936年(昭和11年)の二・二六事件について正しく説明しているのはどれでしょう?
- 二・二六事件は皇道派の青年将校が約1500名の部隊を率いて蜂起し、高橋是清蔵相・斎藤実内大臣ら重臣を殺害したが、昭和天皇が強く鎮圧を命じ4日後に反乱軍は降伏した
- 二・二六事件は統制派の将校が主導したクーデターで、荒木貞夫陸相を首班とする軍事政権樹立を宣言したが、海軍の反対で失敗した
- 二・二六事件では犬養毅首相が官邸で銃撃されて死亡し、後継首相として岡田啓介が選ばれたことで事件後の政治が安定した
- 二・二六事件の結果、陸軍が求めた「軍部大臣現役武官制」が廃止され、文民が陸海軍大臣に就任できる道が開かれた
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正解: 二・二六事件は皇道派の青年将校が約1500名の部隊を率いて蜂起し、高橋是清蔵相・斎藤実内大臣ら重臣を殺害したが、昭和天皇が強く鎮圧を命じ4日後に反乱軍は降伏した
二・二六事件(1936年2月26日)は陸軍皇道派の青年将校(香田清貞・野中四郎ら)が約1400〜1500名の部隊を率いて決起した事件。高橋是清(蔵相)・斎藤実(内大臣)・渡辺錠太郎(陸軍教育総監)らを殺害し首相官邸・陸軍省・警視庁などを占拠した。岡田啓介首相は難を逃れた。昭和天皇は強く反乱軍鎮圧を命じ、4日後に反乱軍は解散・投降した。主導したのは皇道派で統制派ではない(荒木貞夫は皇道派だが事件の主導者ではない)。犬養毅が殺害されたのは五・一五事件(1932年)で全く別の事件。軍部大臣現役武官制は二・二六事件後に「廃止」ではなく「復活」した(1913年山本権兵衛内閣が廃止し、1936年事件後に再び現役武官制が復活)。
TIPS
二・二六=皇道派・1936年。五・一五(1932年、犬養毅殺害)と混同しない。軍部大臣現役武官制は事件後に「復活」した。
問題 4
江戸幕府の鎖国体制下で、キリスト教の布教を行わず純粋な貿易のみを続けたとして長崎の出島での交易を唯一許可されたヨーロッパの国はどこでしょう?
- ポルトガル
- オランダ
- イギリス
- スペイン
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正解: オランダ
鎖国体制下で出島(長崎)での貿易を許可されたヨーロッパ国家はオランダ(オランダ東インド会社)のみでした。ポルトガルはキリスト教布教と結びついていたため1639年に来航を禁止されました。スペインも同様にキリスト教布教の危険があるとして追放されています。イギリスは1623年に平戸商館を自ら閉鎖して撤退しており、鎖国体制下では貿易を行っていません。オランダが残れた理由は「布教より貿易を優先するプロテスタント国家」だったためです。
TIPS
「鎖国=オランダのみ(+清・朝鮮・琉球)」という例外の組み合わせで覚える。ポルトガルが追放された1639年が鎖国完成の目安年です。
問題 5
1941年12月の真珠湾攻撃をきっかけにアメリカや連合国と開戦し、1945年の終戦まで続いた戦争を何というでしょう?
- 太平洋戦争
- 日露戦争
- 日清戦争
- 日中戦争
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正解: 太平洋戦争
正解は太平洋戦争です。1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を奇襲攻撃したことをきっかけに始まりました。日清戦争(1894〜95年)・日露戦争(1904〜05年)は太平洋戦争より前の戦争です。日中戦争(1937〜45年)は中国との戦争で、太平洋戦争と並行して行われていました。
TIPS
8月6日(広島)、8月9日(長崎)、8月15日(終戦)と8月の日程をセットで覚えよう。
問題 6
豊臣秀吉が行った刀狩の歴史的な目的として最も適切なものはどれですか?
- 全国の金銀を没収して財政を安定させるための政策
- キリスト教徒の武装蜂起だけを防ぐための政策
- 大仏を建立するためだけの宗教的な政策
- 農民から武器を没収し、武士と農民の身分を明確に分離すること(兵農分離)
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正解: 農民から武器を没収し、武士と農民の身分を明確に分離すること(兵農分離)
刀狩は表向き方広寺の大仏建立のための釘や鎹に使うという名目で行われましたが、実質的な目的は農民から武器を取り上げて一揆を防ぎ、武士と農民の身分を明確に区別する兵農分離を進めることにありました。大仏建立のためだけという説明は、あくまで公式に掲げられた建前にすぎず、歴史的な実質目的とは言えません。刀狩は武器の没収が目的であり、金銀の没収による財政政策ではありません。キリスト教徒の武装蜂起への対策は後の島原の乱後に強化された政策であり、刀狩の時点での主目的ではありません。
TIPS
刀狩の建前は大仏、本当の狙いは兵農分離という表と裏の違いを意識すると理解が深まります。
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